オーストラリアへの移住と移民の歴史

オーストラリアは整備された都市環境、広大な大自然、多国籍な文化を持つ人々、そして堅実な経済力により、世界でも移住先として高い人気を誇る移民国家です。

 

こちらではオーストラリアへの移住を検討している方のために、「ダウンアンダー」での移住の歴史を含め、移住する前に検討が必要なステップについてご紹介します。

 

移民国家、オーストラリア

オーストラリアには、18世紀にイギリスからやってきた「第一次開拓者」から、戦後のヨーロッパからの移民、1970年代のベトナム人、そして中国やインドなどからの新しい移民まで、さまざまな移民の歴史があります。

1788年にヨーロッパ人による入植が始まった際、オーストラリアの人口は約40万人と推定されていました。最初の移民は、イギリスとアイルランドから輸送された囚人で、1840年までに約8万人がシドニーに到着しました。

その後、オーストラリアへの移住を希望する一般市民が増え出し、1850年代に金が発見されるとさらに多くの移民が押し寄せました。イギリスやアイルランドだけでなく、ヨーロッパ、中国、アメリカ、近隣のニュージーランドや南太平洋などから、この10年間で約60万人が移住してきました。

1901年の連邦制施行時には、オーストラリアの人口は400万人近くになり、そのうちの約4人に1人が海外で生まれた人々によって占められることになります。イギリスやアイルランドの血を引く人が多い一方で、ドイツ人を中心としたヨーロッパ人や中国人も多くいました。

しかし、連邦制の制定に伴い、オーストラリアはイギリスやアイルランドからの移民を中心とし、アジアやその他の地域からの移民を事実上、徐々に排除する政策に変わっていきます。

第二次世界大戦後には、オーストラリア政府は「人口を増やすか、国を滅ぼすか」というスローガンを掲げ、新たな政策を採用しました。人口増加のためにイギリス人を中心とした移民を積極的に受け入れましたが、この政策によりイタリア人、ドイツ人、ギリシャ人、ポーランド人など、戦争で荒廃したヨーロッパからも多くの移民がやってくることになります。

その後オーストラリアは徐々に移民政策を緩和していくことになり、1973年には「白豪主義」が廃止され、すべての移民が平等に扱われるようになります。

ベトナム戦争後にも、ベトナムとカンボジアから多くの移民がオーストラリアに移住し、続けて東ティモールや中国、中東からの移民もこの流れに加わっていきます。

それまで最大の割合を占めていた英国からの移民は、ニュージーランドに次いで2位になりましたが、その後、中国に抜かれ、さらにインドやスーダン、アフガニスタン、イラクからの難民も新たに増えていきます。

こうして1945年にオーストラリアの移民局が設立されて以来、約750万人の人々がオーストラリアに移住しました。これにより、オーストラリアの人口は2,500万人以上に増加し、いわゆる多文化・多国籍社会となっています。

2016年の国勢調査によると、オーストラリア人の約半数が海外で生まれたか、少なくとも片方の親が海外で生まれた人で、オーストラリア人の5人に1人以上が家庭で英語以外の言語を話しています。オーストラリアに次いで多かった出生国は、イギリス(人口の5%)、ニュージーランド(2.5%)、中国(2.3%)、インド(2.1%)でした。

また、最新の国勢調査では、オーストラリアに住む日本人は42,421人となり、2011年の国勢調査から約20%増加しました。日本人の人口が最も多いのはニューサウスウェールズ州の約1万4,000人、次いでクイーンズランド州の約1万2,400人、ビクトリア州の約8,500人、西オーストラリア州の約4,200人となっています。

オーストラリア統計局によると、2020年度、オーストラリアに住む移民の数は760万人以上で、人口の約30%が海外で生まれたたという計算になります。尚、同年のオーストラリアへの純海外移住者数は19万4,400人とされています。

しかし現在はCOVID-19のパンデミックにより、オーストラリアの国境は原則的に閉鎖されているため、国境が再開されるまでは、新規の移民の数は大幅に減少すると予想されています。

 

 

オーストラリアへ移住をするには?

海外への移住は、大きな決断です。

オーストラリアでは、連邦政府や州政府、そしてさまざまな非営利団体が移住者にさまざまな支援を提供しており、移住を検討される方には心強いサポートとなっています。

例えば、ビクトリア州政府は、移住前に下記のようなステップを推奨しています。

 

  • ステップ1:現地での仕事を探す – ビクトリア州政府は、現地での就職をサポートするための様々な情報を提供しています。中でも最大級の掲載情報を誇るのはseek.com.auです。 
  • ステップ2:出発前のチェックリストを使って移住計画を立てる – 住居の確保、予算の策定、手続きを簡単にするための移住エージェントの利用を検討しましょう。 
  • ステップ3:ビザの申請 – オーストラリアへの移住に際しては、ビジネスビザや投資家ビザの他、技能移住ビザ、就学・訓練ビザ、家族・パートナービザなど、さまざまなビザがあります。永住権を取得する一般的な方法としては、ファミリー・ストリーム、ワーク・ストリーム、ビジネス・投資家ストリームの3種類の永住ビザがあります。

オーストラリア政府が発行している「Beginning a Life in Australia」は、移民の方に役立つ様々な生活情報を提供しており、日本語を含む39種類の言語で提供されています。

クイーンズランド州政府も、オーストラリアの賃金や雇用条件、祝祭日、海外で取得した資格の認定など、様々な情報を提供していますので、参考にされると良いかもしれません。

海外への移住は、困難なこともありますが、国内では決して経験できないような新しい機会や経験を得ることができます。

世界情勢的には少しづつアフターコロナ・ウィズコロナの世界の展望が見えてきたこのタイミングで、一度じっくりと海外移住についてご検討頂くのも良いかもしれません。(HelloKids事務局)

 

 

オーストラリアのコロナの状況について(2021年8月27日現在)

コロナ感染数の現状

8月27日現在、オーストラリアでは1日あたりの新型コロナ感染症への新規感染者数が1,000日を超える日が出てきており、ニューサウスウェールズ州のシドニーなど主要都市では厳しい外出制限などを含むロックダウンの実施が2ヶ月以上も続いています。

ロックダウンは日本の緊急事態宣言よりも人々の行動に強い制限をかける措置であるため、反発する一部の市民がデモ活動を展開し、警官との間で衝突するという事態にも発展してしまいました。

 

参考) Coronavirus (COVID-19) at a glance – 26 August 2021 – Health.gov.au

また、こうしたオーストラリア国内のコロナ感染状況と人々の受け止め方には、各州によっても差が生じています。

ブリスベンやゴールドーストを擁するクィーンズランド州では、日々の新規感染者数が継続的にほぼゼロで推移していることもあり、隣接するニューサウスウェールズ州との境界にチェックポイントを設け、州間の人々の移動を厳しく制限しています。

現在、デルタ株による新規感染が増えているニューサウスウェールズ州からの人々の移動を大きく抑えるため、建設業やチャイルドケアなどこれまではエッセンシャルワーカーのカテゴリーに属していた労働者も、入州が認められない状況になっています。

一方、危機感の増すニューサウスウェールズ州では、ここに来て日々のワクチン接種のスピードが上昇し、世界的にも速いペースで進んでいます。

”ゼロ・コロナ政策”からの方針転換とロードマップ

オーストラリアのスコット・モリソン首相は、これまでのゼロコロナ政策を見直し、一定の割合にまでワクチン接種率が到達した場合、コロナとの共存を目指す政策へ方針転換を行うことを明言しました

また、以前より掲げられていたAfter コロナ(With コロナ)に向けたロードマップの4段階において、それぞれのステージに進めるための目安となるワクチン接種率が具体的に明言されました。

 

Government’s four-stage plan to return to normal


Phase A: Vaccinate, prepare, pilot (2021年8月27現在)

・海外からのコロナ侵入を防ぐため国境を閉鎖

・クラスターが発生した場合にロックダウンを実施

 

Phase B: Vaccine transition phase (70%のワクチン接種率到達後に開始)

・ワクチン接種完了者の旅行上限者数を拡大(現在は一部の特別免除者とビジネス従事者のみ可)

 

Phase C: Vaccination consolidation phase (80%のワクチン接種率到達後に開始)

・ワクチン接種完了者のオーストラリアへの帰国制限を撤廃

・ワクチン接種完了者の海外渡航制限の撤廃

・ロックダウンは最終的な措置としての位置付け

 

Phase D: Final post-vaccination phase

・感染リスクを持つ海外からの旅行者へのみ隔離措置を実施

・ブースター摂取の検討

 

状況は日々変化していますので、確実なことは誰にもわからない状況ではありますが、これらによるとワクチン摂取率が70%、または80%に到達をした段階で、これまでの海外渡航規制が徐々に緩和・撤廃されていく計画であることが伺えます。

仮に現在のワクチン摂取ペースが維持された場合、70%への到達時期はおよそ10月末、80%へは11月中旬頃と予測されますが、今後のワクチン供給の状況や世論、人々の意識の変化などにより大きく変動することも予想されます。

ただ、明るいニュースとしてはQantas航空をはじめとする主要航空会社が今年度中を目処に、徐々に国際線の運行便を再開、増加させていくことも発表されています。

現在の閉塞感漂う状況から、少し変化の兆しが見えてきたオーストラリア。今後の動向にも注目をしていきたいところです。(HelloKids事務局)

 

 

オーストラリア人の健康的なライフスタイルとは?

ついに閉幕した東京オリンピック。

オーストラリアは、水泳やヨットなどの競技で、列強の各国を抑えて金メダルを獲得しました。

あらゆる年代の老若男女がスポーツを愛し、健康的なワークライフバランスを重視するオーストラリアのライフスタイルから私たち日本人が学べることとは一体なんでしょうか?

東京オリンピックのメダル獲得数から見ると、日本とオーストラリアは非常に良い結果となりました。

日本が過去最高の27個の金メダルを獲得したのに対し、オーストラリアは17個の金メダルを獲得し、これまでの最高記録を更新しましたが、その主役となったのは女子の水泳選手でした。

ご存知のようにオーストラリアの人口は約2,500万人と他国と比較して相対的に少なく、日本の1億2,600万人や、2位の中国(14億人)、1位の米国(3億2,800万人)の人口と比較すると、オーストラリアのメダル獲得数が6位であったことは賞賛に値します。

新型コロナ感染症の感染拡大を防ぐために世界中が奮闘している中で、こうしたオーストラリアのアスリートの強さからどんなことを学ぶことができるでしょうか。

 

健康的なライフスタイル

クイーンズランド州政府は、健康で幸せなライフスタイルのためのガイドをウェブサイトで提供しており、フィットネス、食事、家族に関するさまざまな資料を掲載しています。

このサイトでは、健康的なライフスタイルを始めるためのヒントを紹介しています。

 

◆ ライフスタイルプランナー
1週間分の食事と運動のプランナーを提供しています。

◆ 食事・栄養管理
心臓病、がん、肥満、糖尿病などのリスクを減らすために、野菜や果物を積極的に摂りましょう。また、外食の際にはより健康的なメニューを選ぶ、砂糖入りの飲み物を減らし、水や無糖のお茶を飲むなどの工夫も心掛けましょう。


◆ エクササイズ
座りっぱなしの時間を減らし、適度に
体を動かすことは、余分なカロリーを消費するだけでなく、ストレスを軽減し、病気を予防し、睡眠を改善することにつながります。

こちらのガイドでは、毎日30分の運動を推奨しています。日々多忙でそこまで時間が取れないという方は、エレベーターの代わりに階段を使う、車や公共交通機関の代わりに徒歩や自転車で通勤するなど、日常生活における工夫が必要かもしれません。

 

また、オーストラリア政府のDepartment of Healthは、様々な年齢層を対象としたエクササイズのガイドラインを提供しています。

18歳から64歳までの成人の場合、ほぼ毎日エクササイズを行うことが推奨されており、週に少なくとも2.5~5時間の中程度の負荷の運動、または1.25~2.5時間の高負荷の運動と、週に2回の筋力トレーニングを行うことが推奨されています。また、座っている時間を最小限にし、長時間座り続けないことを推奨しています。

2012年に発表された同省の報告書によると、エクササイズと死亡リスクの低減との間には明確なエビデンスがあり、日常的にエクササイズを行っている人には有意なリスク低減が見られます。例えば、国際癌研究センターによると、がんの約4分の1は、肥満と座りっぱなしのライフスタイルに起因しているとも言われています。

 

Woman feet standing on Weight Scale on wooden background

肥満の増加

こうした健康的なライフスタイルがもたらすベネフィットや、政府が提供するガイドラインや各種のエビデンスにも関わらず、一部のオーストラリア人にとっても、日常的に健康的な習慣を身に付けることは容易ではありません。

2018年度には、18歳以上のオーストラリア人全体の3人に2人が過体重または肥満であると推定されており、特に男性や高年齢層にはこの傾向が顕著に見られます。

“過度な体重や肥満は、心血管疾患、喘息、腰痛、慢性腎臓病、認知症、糖尿病、一部のがんなど、多くの慢性疾患を発症する可能性を高めます。また、あらゆる死因の分析結果から、死亡率の向上と明確な相関関係が認められます。”と指摘しています。

OECDの「Obesity Update 2017」によると、肥満率が最も高いのは米国で、15歳以上の成人人口のおよそ40%が肥満とされています。これに対し、オーストラリアは27.9%でした。

一方、日本の肥満率はわずか4.2%で、OECD諸国の中で最も良い数値を示しています。これは、日本人の消費カロリーが欧米人に比べて低いことを示すデータを反映したもので、健康的な伝統的食生活に加え、ウォーキングやサイクリングなどの日常的な運動を多く行っていることが要因と考えられています。

また、日本人の平均寿命は男性81.6歳、女性87.7歳と、世界でもトップクラスの水準にあります。日本の女性の平均寿命は世界一で、男性はスイスに次いで2位です。

一方、オーストラリアの平均寿命も比較的高く、2017-19年に生まれた男の子の平均寿命は80.9歳、女の子は85歳にまで達する可能性が高いと言われています。

 

ワークライフバランス

OECDによると、仕事と日常生活の適切なバランスを見つけることは、すべての職務従事者が直面する課題であると位置付けられています。

「長時間労働は、個人の健康を損ない、ストレスを増大させることを示唆する証拠がある」と報告書指摘されています。

労働時間が長くなると、余暇や自分自身のために使える時間が減り、生活の質が低下してしまいます。

一方、日本では、17.9%の従業員が「非常に長い時間働いている」と回答しており、OECD加盟国の平均である11%を大きく上回っています。

「日本では、子どもを持つ親が仕事と家庭を両立させることが難しい。職場の慣習や住宅ローンや学習塾などの金銭的負担、社会的な規範などが若者世代の労働者に心理的なプレッシャーを与えている事実は見過ごせません」とOECDは述べています。

オーストラリアの人々は、食事や日常的なエクササイズに関して日本から学ぶべきことがある一方、日本はワークライフバランスを改善するためにこれまでの伝統的な企業文化や慣習を時代の流れに即して柔軟に変化させていく必要があることが示唆されています。

 

 

幼児期の教育環境の大切さ

連日素晴らしい快晴が続く、ここAustraliaのGold Coast。

今日のMudgeeraba Early Childhood Centreの子どもたちは、屋外スペースに出て創作活動に励みました。

 

 

冬のこの時期でも、暖かい陽射しが降り注ぐAustralia。緑の香りと鳥の鳴き声が心地よい環境に刺激を受けたのか、子どもたちはみんな大興奮!

スライムを手にした子どもたちは、もう止まりません。

みんな思い思いに自分のアイデアを形にして、お友達に一生懸命その創作物についての説明をしています。

 

 

溢れる大自然の中で生き生きとしている子どもたちを見ていると、幼児期の彼らにはやはりこうしたのびのびとエネルギーを解放できる環境がとても大切なのだなと実感させられます。

健康と体力を育むだけでなく、五感を通じてさまざまなインスピレーションを得られることができるような体験をサポートしてあげることが、私たちエデュケーターに求められることであると考えています。(HelloKids事務局)

 

 

幼少期から、世界に視野を広げる

Southport Child Care CentreのToddler’s classの子どもたちは、今、世界でどんなことが起きているのか、調べてみることにしました。

すると、みんなから声が挙がったのは、やはり東京オリンピック❗️

 

 

リサイクルされた空き瓶のフタを使って、子どもたちはオリンピックリングをモチーフに丸いスタンプを押しました。どうでしょう、なかなかのアート感が出ていますよね!

その後は、オリンピックリングに選ばれたそれぞれの色が持つ意味について話し合いました。

自分たちが住むこの世界には様々な国の人々が存在し、お互いに異なる歴史や文化を持つことなど、オリンピックを通じて新しい視点から有意義なお話ができた1日となりました。(HelloKids事務局)

 

 

持続可能な未来を育む食育菜園プロジェクト

この2ヶ月、子どもたちはDream Time Culture Centreで新しいプロジェクトに取り組んできました。

 

 

オーストラリアの先住民族たちが培ってきた持続可能な農業についての調査・探究を行うべく、子どもたちは自分たちの手で土を耕し、さまざまな種類のネイティブハーブやブッシュフードを植え、根気強く、そして優しく水やりを欠かさずに行ってきました。

 

 

普段の幼稚園とは異なる環境において、新たな知識を学び、直に自然と触れ合い、時間を掛けてゆっくりと食物を育みながら、調査を行うこの一連のプロジェクトに子どもたちはとてもエキサイトしているようです。(HelloKids事務局)

 

 

豪州Kinder Garden Project(食育菜園プロジェクト)のローンチについて

グローバルスカイ・エデュケーション・グループは、オーストラリア・クィーンズランド州中央部に位置するロックハンプトンにおきまして、Kinder Garden Project(食育菜園プロジェクト)を開始いたしましたことをご報告いたします。

長年、豪州にある全センターでは、教育プログラムの一環としてハーブや野菜類をセンター内で育てて給食等で使用しており、今度はアボリジニをはじめ先住民の文化芸術を保全・教育する公共の教育文化施設「ドリームタイム・カルチャー・センター」(Dreamtime Cultural Centre)内において、菜園開発から運営まで担います。この地域にある4センターの園児とファミリー、教職員とともに、コミュニティの一員として地域活性化と環境教育に貢献してまいります。

 

グローバルスカイ・エデュケーション・グループ

ドリームタイム・カルチャー・センター

【異文化コミュニケーション】日豪オンライン交流の実施

グローバルスカイ・エデュケーション株式会社では、日本の親御様や子どもたちにオーストラリアの幼児教育をご体験頂ける「Hello Kidsプログラム」をはじめ、”これからの時代に必要な、人材育成のための教育ソリューション”をご提供しております。

今回は、学習塾や英会話サービス、保育園事業を展開されている株式会社京進様のグループで運営される保育園、「HOPPAからすま京都ホテル」の子どもたちと、弊社がオーストラリアで運営しているMudgeeraba Early Childhood Centreの間で、オンライン交流を実施しました。

 

お互いのクラスルームをインターネット上でリアルタイムにつなぎ、英語でのコミュニケーションを通じて、お互いの文化や国の違いについて紹介したり、ゲームや歌を唄いながら楽しく時間を過ごすことができました。

日頃勉強している英語のフレーズを用いて、日本の子どもたちがオーストラリアの子どもたちに名前を聞いたり、質問をしたりするなど、ネイティブとの英会話を実践できる機会を設けました。

子どもたちも、自分の英語が実際に伝わって、コミュニケーションが図れたことに、とても興奮している様子でした。

弊社としては、依然として続くコロナ禍の海外渡航規制などにより、旅行や海外留学などが難しい現在のような状況下においても、子どもたちの貴重な時間を有効に活用して、少しでも異文化コミュニケーションを体験させてあげられる手助けができればと考えています。

日本とオーストラリアのように遠く離れた国同士でも、今回のようにテクノロジーを活用して新しい取り組みをスタートすることができました。この取り組みは今後も定期的に実施予定ですので、随時その様子を皆様にもお伝えしたいと思います。

今の時代や状況下だからこそできることを、今後も私たちはオープンマインドな姿勢で取り組んで参ります。

 

オーストラリアにおけるコロナウイルスのワクチン接種状況

新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、依然としてオーストラリアを含む世界各地で猛威を振るっています。

しかし、ワクチンの接種が開始されたことで、海外旅行などを含む日常生活がそう遠くない時期に再び戻ってくることが期待されています。

オーストラリアにおいては、コロナによる影響は他の国ほど大きくないものの、ワクチンの普及に関しては欧米諸国に比べてやや遅れています。

2021年6月5日現在で、オーストラリア全土において約500万人分のワクチンが接種されており、成人人口の約20%が初回接種を受けています。

しかし、現在のペースでは、政府がワクチン接種完了の目標として当初掲げていた2021年10月に全国民の接種を完了させるという状況には程遠く、完了までにはさらに1年程度を要するのではないかと考えられています。

これに対し、米国では6月5日時点で63%の成人が少なくとも1回の接種を受けており、英国ではその割合は75%となっています。ロイター通信の報道によると、日本では少なくとも1回の接種を受けた人はわずか9%にとどまっています。

オーストラリアでは、6月5日現在のコロナの感染者数は137人、累計の死者数は910人にとどまっていますが、これは国際的な国境の閉鎖や州境の封鎖など、政府による対策の影響が反映された状況と考えられています。

オーストラリア政府は、「オーストラリアに住むすべての人に、安全で効果的なワクチンを提供する」と宣言しており、50歳未満の人にはファイザー社のワクチンを、それ以上の年齢の人にはアストラゼネカ社のワクチンを優先的に提供することになっています。

アストラゼネカ社製ワクチンについて、極めて稀なケースではあるものの、血栓などの重篤な副作用が100万回の接種ごとに約4~6人の割合で発生することが指摘されていますが、オーストラリア政府は、”この割合は、アストラゼネカ社のワクチンを受けていない人に血栓が発生する自然発生率よりも低い “という見解を示しています。

ワクチン接種プログラムを迅速化するため、オーストラリア政府は、軍の高官であるジョン・フリューウェン中将をワクチン接種プロジェクトの責任者に任命し、スピードアップを図ろうとしています。

また、オーストラリア政府は、国内でのワクチン認証プログラムを計画していることを発表しました。これにより、既にワクチンの接種を完了した人は、どこかの州でロックダウンが実際された場合においても、州境を越えた移動制限を免除される可能性があります。

 

続く国境の閉鎖

しかし、依然としてオーストラリアの国境は閉鎖されているため、引き続き当面の間は旅行などを含む海外渡航は認められていません。

“オーストラリアの市民や永住権を持つ人は、政府より旅行の免除を受けるか、一部の渡航可能国への訪問でない限り、オーストラリアから出国することはできません。外国籍の方は、いつでもオーストラリアを出国することができます」と、政府のウェブサイト「Smart Traveller」に記載されています。尚、現在のところ渡航禁止の対象外となっているのはニュージーランドのみです。

また、外国人旅行者についても、オーストラリアへの入国は原則として禁止されています。6月5日現在、オーストラリアの国境は海外からの訪問者に対して閉鎖されたままで、一部の例外を除き、国民と永住者のみが再入国を認められている状況です。

日本などからオーストラリアに渡航する人は、出発の72時間前までにCOVID-19の検査を受け、チェックインの際に検査結果が陰性であることを示す証拠を提示する必要があります。

オーストラリアに到着した人は、指定された宿泊施設において14日間の隔離を受ける必要があり、別途、滞在する州における法律に従う必要があります。費用は自己負担で、大人一人あたり最大3,000豪ドルとなっています。

また、6月6日時点でオーストラリア政府は日本について、「COVID-19パンデミックによる健康被害のリスク等を考慮して、渡航しないでください」と勧告しています。同サイトでは、日本が東京を含む多くの都道府県で緊急事態宣言を6月20日まで延長したことを紹介しています。

尚、日本政府は日本への渡航を希望するオーストラリア人に対しては、COVID-19の検査結果が陰性であることが必要で、出発前72時間以内に検査を行う必要があると発表しています。

併せて日本に入国する際には、14日間公共交通機関の利用を控え、自宅などの指定された場所で隔離し、必要に応じて必要な位置情報を提供するよう求められます。

 

2022年の見通しについて

現在、オーストラリア人はニュージーランドへ隔離措置なしで渡航することができますが、2022年からは日本を含む他の国への渡航も順次可能になることが期待されています。

5月9日、マイケル・マコーマック副首相は、2022年には以前のように海外旅行が再び可能になる可能性があると述べました。会見時には、「私たちは、来年には海外旅行がCOVID以前の正常な状態に戻ることを期待し、期待し、期待しています」と言葉を残しています。

しかし、連邦政府の最新の報告書によると、海外からの旅行者に対する隔離プログラムが残っているため、海外旅行が再開されるのは早くても2022年半ばになると思われます。

しかし、オーストラリア政府は、COVID-19の感染状況に応じて、一部の国との間で「トラベルバブル」が形成される可能性も示唆しています。

隔離が免除される次の渡航先の候補としては、シンガポール、日本、韓国の名前が挙げられています。

しかし、世界的にはまだまだワクチンの接種が完了していない国が多く、以前のように自由に海外渡航ができるようになるまでには、まだしばらくの時間が掛かるものとの見方が大半です。

随時、弊社からも最新情報を更新して参ります。(HelloKids事務局)

 

 

オーストラリアの歴史をわかりやすい年表で見てみよう

長期的な経済成長を遂げたことでもその名を知られるオーストラリア。

 

実はこの国の発展は、第二次世界大戦後の歴史において大きな契機がありました。

 

今回は、1950年代から現代までのオーストラリアにおける歴史上の重要なターニングポイントをご紹介します。

 

1950s: 郊外の夢

1950年代のオーストラリアは、高い雇用率とによる好景気に国全体が沸いていました。オーストラリアの各地位では、都市近郊に大規模な区画の一戸建て住宅が建ち並ぶ新しい郊外エリアが開発され、人々は「郊外の夢」を楽しんでいました。

オーストラリアの人口は、イギリスだけでなく、ギリシャ、イタリア、オランダ、ドイツなど、戦後のヨーロッパからの移民によって、1,000万人にまで増加しました。

1949年、自由党党首のロバート・メンジースが政権を取り戻し、1966年まで統治を続け、オーストラリアの歴史上で最も長く首相を務めた人物となりました。

この時代における主な出来事としては、1954年の英国王室ツアー、1956年のテレビの登場などが挙げられる他にも、メルボルンで夏季オリンピックが開催されたことも大きなニュースでした。

この10年間は、オーストラリアが朝鮮戦争(1950~1953年)に参戦し、冷戦による影響と脅威に晒されていたにもかかわらず、比較的平和な時代と言えるでしょう。

1957年、日本とオーストラリアの間で日豪通商協定が締結され、二国間の貿易・投資が活発化するなど、豪日関係は更なる発展の様相を呈していました。 

 

1960s: 市民によるデモ活動と繁栄

1960年代は、戦後に誕生した子どもたちが大人になり、影響力を発揮するようになる大きなタイミングとなりました。徴兵制やベトナム戦争に反対する大規模な抗議デモ活動が行われたほか、女性の平等やオーストラリア先住民の権利を訴えるキャンペーンなども盛んに行われました。

文化的な側面に目を向けて見ると、エルビス・プレスリーやビートルズのテレビ放映が人気を博し、およそ30万人もの人々がこれらのイギリスのグループをアデレードで行われたコンサートに迎え、熱狂的な歓迎がなされました。

1966年には、オーストラリアは米国のリンドン・ジョンストン大統領(当時)を、米国大統領として初めて迎え入れました。メンジースの後継者であるハロルド・ホルトは、”All the way with LBJ “というスローガンを掲げて米国の指導者を歓迎しました。

経済面では、主に鉄鉱石などの鉱物の輸出が増加し、”鉱業ブーム”が巻き起こります。

 

1970s: 時代の到来

1972年にゴフ・ウィットラム率いる左派の労働党が当選したことにより、1970年代はオーストラリアにとって大きな変革の時期となりました。

労働党は、「It’s Time」というスローガンを掲げてキャンペーンを行い、「白豪主義」の移民政策の廃止、ベトナムからのオーストラリア軍の撤退、大学教育の無償化と国民健康保険の導入など、多くの改革を実施しました。

厳格な移民政策が廃止されたことで、ベトナムからの難民をはじめとする多くの移民が流入し、多文化国家オーストラリアとしての新しい時代の幕開けとなりました。

経済面では、1973年に起こったオイルショックにより世界とオーストラリア経済は混乱に陥り、急激なインフレと失業率の上昇を招きました。 

1975年、こうした政治的混乱の中、イギリス女王の権限により、ジョン・カー総督がウィットラム政権を解任します。ウィットラムの後任には、自由党のマルコム・フレーザーが就任し、1983年まで政権を担うことになります。

 

1980s: 「貪欲なのは、良いことだ」

1980年代は、1987年に公開された米国映画『ウォール・ストリート』に登場する「貪欲なのは、良いことだ」という倫理観を特徴とする経済革命が起こりました。

「Yuppies(ヤッピー)」と呼ばれる、若くて上昇志向の強い各業界の専門家たちが、輸入車とスマートなスーツを身にまとい、時代の繁栄を享受します。

しかし、1987年10月19日には株式市場が大暴落し、「ブラックマンデー」と呼ばれる世界的な金融不況となりました。これによりオーストラリアも例に漏れず不況に陥り、労働党の財務大臣であるポール・キーティング氏は、この不況を「なるべくしてなった状況」と表現したことで話題になりました。

1984年、英国国歌に代わり「Advance Australia Fair」が正式にオーストラリアの国歌となり、緑と金がオーストラリアのナショナルカラーとして指定されました。

労働党のボブ・ホークは1983年から1991年まで党首を務め、1984年には75%という過去最高の支持率を獲得し、様々な規制緩和改革を実施しました。また、ホークは1983年にオーストラリアがヨットレースのアメリカズカップで優勝したことを祝い、「今日、出勤しなかったことで誰かをクビにする上司は最低だ」と宣言したことでも有名です。

また、1989年11月にはベルリンの壁が崩壊。長く続いた冷戦が終結し、国際関係が新たな局面を迎得ることになります。

 

1990s: 景気後退と回復

日本では、バブル経済が1990年に崩壊し、オーストラリアでも1990年代初頭に景気後退が起こります。

1992年には失業率が過去最高の11.4%に達し、航空会社や銀行の倒産が経済に大きな打撃を与えました。

社会的には、移民の増加により、オーストラリア人の約4人に1人を外国人が占めるようになります。

また、1990年代には、インターネットや携帯電話が登場し、IT技術の発展に伴う新時代の幕開けとなりました。

政治面では、1991年にポール・キーティングがボブ・ホークから政権を奪取し、成功を収めます。しかし、13年間の任期を終えた労働党は、1996年にジョン・ハワード率いる保守的な自由・国民連合に敗北を喫します。その後、この連合政権は2007年まで政権を維持することになります。

一方、オーストラリア軍は1990年に米国主導のイラク戦争の支援を行うことになり、オーストラリアからも程近い東ティモールにおいて、国連平和維持軍を率いて上陸作戦が実行されました。

 

2000s: お祝いとテロ

2000年にはシドニーで夏季オリンピックが開催され、2001年1月1日にはオーストラリアが100周年を迎えるなど、新たなミレニアムを祝うことで、新しい10年が始まります

経済面では、インターネットの発展により、株式市場では「ドットコム・ブーム」が起こり、インターネット関連企業が大きな利益を上げました。

しかし、2001年9月のニューヨーク世界貿易センターへのテロ攻撃は、世界的な「テロとの戦い」の始まり告げることになり、オーストラリアは米国主導のアフガニスタンとイラクでの軍事作戦に兵力を提供しました。また、イスラム過激派がインドネシアのバリにあるバーを爆破し、88人のオーストラリア人観光客が死亡するなど、一般のオーストラリア国民も戦争の影響を受けることになります。

2008年、世界金融危機(GFC)が発生し、世界は再び不況に陥ります。しかし、「Lucky Country」と呼ばれるオーストラリアは、政府による速やかな対策と、中国の急速な工業化に牽引された鉱業ブームのおかげで、大幅な景気後退を避けることができました。

政治面では、2007年の選挙でジョン・ハワードによる長期政権がケビン・ラッド率いる労働党に敗れ、オーストラリアは再び大きな転換点を迎えます。

ラッドは、気候変動に関する京都議定書の批准や、オーストラリア先住民への謝罪など、さまざまな改革を行いました。

 

2010s: 政治的な混乱の中で

オーストラリアは、GFC(世界金融危機)にもかかわらず経済成長を続け、そのまま永遠に続くかのような長い好景気に支えられ、新しい10年を迎えました。

しかし、経済が安定していた一方で、政治面ではこの10年間は大きな変化の連続でした。ケビン・ラッドは、2010年に労働党のライバルであるジュリア・ギラードに敗北した後、2013年にトップの座を奪い返します。 

自由党党首のトニー・アボットは、2013年の総選挙でラッドに勝利しますが、その2年後に同僚のマルコム・ターンブルから裏切られてしまいます。 

しかし、そのターンブルも同じ不幸を味わうことになります。2019年にはスコット・モリソンが旧政権を打倒し、新たな改革を打ち出すことになります。この一連の状況は、日本で安倍晋三首相が長期的にトップの座についていた状況とは大きく異なります。

この後、2011年のブリスベンの洪水を皮切りに、オーストラリアでは各地で自然災害が多発します。2020年には「Black Summer」と呼ばれる山火事が発生し、約180万ヘクタールが焼失。推定で約10億頭の動物が死亡したことは世界的にも大きなニュースとして報道されました。

また、2020年にはCOVID-19と呼ばれるパンデミックがオーストラリアを襲い、政府は感染拡大を避けるため国境封鎖を行います。政府のこうしたスピーディな対策が功を奏し、全人口の2,500万人中、2021年3月31日時点で909人の死亡が報告されているものの、世界的に見ればウイルスによる犠牲者を比較的少数に留められていることでも注目を浴びています。

2021年4月現在、ワクチンは徐々に全国に配布されており、同年末から2022年にかけて海外旅行が再開されることが期待されています。

 

ご存知でしたか? ”オーストラリアに関する豆知識”

・1957年、オーストラリアは第二次世界大戦後、日本と初めて貿易協定を結んだ国となりました。

・オーストラリアで最も人気のあるリーダーの1人であるボブ・ホークは、英国のオックスフォード大学在学中に、ビール1杯を12秒以内に飲むという世界記録を持っていたことで有名です。

・ローズマリー・フォレットは、1989年にオーストラリア首都特別地域の首席大臣に就任し、オーストラリア政府を率いた初の女性となりました。ジュリア・ギラードは2010年に初の女性首相となりました。

・オーストラリアへの最初の日本人入植者は、1800年代後半にオーストラリアに到着し、真珠産業に従事していました。